♯ 製作家紹介
❖ 古田 勇吉
Yukichi Furuta
岐阜県生まれ(1959年)の彼は13歳の時フォークギターを手に入れる。
大学を卒業してコンピューター関係の会社に就職が決まり上京。その東京で本格的にクラシックギターの演奏を学ぶ。
ギターとの運命的な出会いは、マドリードのエルナンデス・イ・アグアドの弟子、ヘスス・ベレサール・ガルシア作のギター。以後このギターが彼の愛器となり、このギターを持ったことによりその後の彼の人生の方向が決まる。
1984年初めてスペインへ行き、アルカンヘル工房を訪ねてギター製作の弟子入りを願った。驚いたアルカンヘルに「いつから工房に来たいのか?」と問われ、古田は「お金もないから日本に帰って働いてから」と帰国した。
ようやくスペイン留学を果たした時彼は30歳、1989年4月のことであった。
しかし、再び訪ねたアルカンヘルには「今ギター製作を教える余裕はない」と断わられてしまう。しかたなくグラナダなどアンダルシア地方のギター工房を訪ねる旅に出る。弟子にしてくれるところもなく途方にくれていたその年の秋にやっとアルカンヘルは弟子入りを許してくれる。
マルセロ・バルベロ・イーホに指導を受けながら古田は1992年10月までスペインに在住する。
帰国して1992年11月から岐阜で古田は自分の工房を開く。
古田が帰国した年にギター文化館ができ、彼は毎年数回同館に通う。そして、ついに2003年から2005年まで同館内に工房を構える。その後2005年から2009年まではアルカンヘルギター館工房にて製作。2009年秋から岐阜に戻り新たに工房を構えている。
大学を卒業してコンピューター関係の会社に就職が決まり上京。その東京で本格的にクラシックギターの演奏を学ぶ。
ギターとの運命的な出会いは、マドリードのエルナンデス・イ・アグアドの弟子、ヘスス・ベレサール・ガルシア作のギター。以後このギターが彼の愛器となり、このギターを持ったことによりその後の彼の人生の方向が決まる。
1984年初めてスペインへ行き、アルカンヘル工房を訪ねてギター製作の弟子入りを願った。驚いたアルカンヘルに「いつから工房に来たいのか?」と問われ、古田は「お金もないから日本に帰って働いてから」と帰国した。
ようやくスペイン留学を果たした時彼は30歳、1989年4月のことであった。
しかし、再び訪ねたアルカンヘルには「今ギター製作を教える余裕はない」と断わられてしまう。しかたなくグラナダなどアンダルシア地方のギター工房を訪ねる旅に出る。弟子にしてくれるところもなく途方にくれていたその年の秋にやっとアルカンヘルは弟子入りを許してくれる。
マルセロ・バルベロ・イーホに指導を受けながら古田は1992年10月までスペインに在住する。
帰国して1992年11月から岐阜で古田は自分の工房を開く。
古田が帰国した年にギター文化館ができ、彼は毎年数回同館に通う。そして、ついに2003年から2005年まで同館内に工房を構える。その後2005年から2009年まではアルカンヘルギター館工房にて製作。2009年秋から岐阜に戻り新たに工房を構えている。